或阿呆のブログ

Pythonを好んで使っているプログラマです。Ruby,Perl,PowerShell,VBAなどでもたまに書いています。おバカなことが大好きです。

或阿呆の戯言(1)

予めお断りしておく。見出しも段落分けも改行も一切しない。辛うじて、句読点だけは打ってやろう。最近何のためブログを書いているのかわからなくなってきた。SEOで上位表示をさせたいだとか、はてブしてもらいたいだとか、好きな人に読んでもらいたいだとか、いろいろある。その目的のために、わかりやすく見出しを付けたり段落を分けたりする。それがけっこう面倒だったりするのだ。出来ることなら一筆書きのようにひと思いにやっちまいたい。書きたいのだ。読んで欲しい以前に書きたいのだ。書きたい。それが意味不明であろうと構わない。本来、書くという行為は読み手を意識するべきものではない。もっとも、自分自身も読み手として加えても良いのであれば、自分自身が読めるということは意識しても良いかもしれない。読み手を意識した瞬間に窮屈になり途端に書きたくなくなる。書き直してみたり、いろいろ試すんだけど、何となく情熱が無くなってしまうのを感じる。俺って何のため?俺は俺のため。小さい頃に興味があったことは、親に注意され友人に批評され社会に揉まれ、たいして興味が無いものに変わってしまった。機械を分解したりするのが好きだった。親に「モノ」を大切にしろと叱られた。それは理解出来なくはないのだが、俺にとって重要なのは「モノ」の価値ではなく、「モノ」がどう動いているのかを知りたいという興味や好奇心だった。自分の興味や好奇心を抑えてまで生きていたいとは思わない。他人に迷惑をかけようとまでは思わないが、俺がどんな奇行を捕ろうが勝手だろう?世の中にはいろんな人がいる。金庫の錠を開けるのに情熱を燃やす人や、女性の下着を1000着も2000着も集めてしまう人や、中国のサイトにサイバー攻撃をかけてしまう人など。傍から見れば大馬鹿者なんだろうが、俺にとっては愛すべきGeekNerd達だ。人間はどうして人の興味の対象を色分けしちゃうのだろうか?オリンピックで金メダルを取ったりエベレストに登頂したりする人間を評価はするが、女性の下着10000万着をコレクトしても誰も評価してくれない。枚数だけで言えばギネス記録に乗せてもいいだろうにwまぁ、盗みは万国共通だから、褒めるわけにはいかんだろうがね。褒められるためにやっている行動でも無いだろうし。俺はねホトホト嫌になっているんだよ。全部をぶっ壊してやりたい。すべてに反抗したい。君がYesと言おうものなら俺はNoだ。世の中に冷たくされて独りぼっちで泣いたとしても自分のやりたいようにやるよ俺は。所詮、死ぬときは誰しも一人だ。死ぬ間際に誰かが看取ってくれるかはわからないし、もしかすると野原で野垂れ死にしぬかもしれないし、自宅で孤独死するかもしれないし、はたまた通り魔にブスっと刺されて死ぬかもしれないけど、そこはどうでもいいとして、死ぬ最後の瞬間はスカッとして死にたいよね。あぁやっておけば良かったこうやっておけば良かったと後悔しつつ死にたくはない。俺はちょっと勘違いしていたのかもしれない。世の中の不条理に我慢して悪いことはせずに生きていけば必ず良いことがあると思っていた。ある意味、それが日本の宗教みたいなもん。でも、そんなの信じてやってきて34歳にもなって、何の手応えもなく、何の希望も無かったら、辛いだけだ。だったらさ、気違いだと俺の生きたいように行くしかなんじゃないの。例えその先に幸せとか無くてもさ。