或阿呆のブログ

巷では、武器商人@ダーツで通っていました。Python好き好きプログラマーです。芥川龍之介、太宰治が好きです。

「生産性を上げることに対してインセンティブがない」ことも確かに問題だけど、「生産性を上げることに対してインセンティブをあげる企業を増やす環境がない」のも問題じゃないだろうか?

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日本の組織で深刻なのは、「生産性を意識する人がいない」ことよりも「生産性を上げることに対してインセンティブがない」ことなのではないだろうか。

「生産性を上げることに対してインセンティブがない」ことも確かに問題だけど、「生産性を上げることに対してインセンティブをあげる企業を増やす環境がない」のも問題じゃないだろうか?

生産性=労働成果÷時間

だとする。労働成果というのが難しいようで簡単なのだが、お金以外に考え付かない。営利団体は営利が目的なわけで、営利の物差しはお金しかない。売上が労働成果の代表。労働成果の上限が、ある程度限られている環境では、時間の短縮以外に生産性を上げるすべはない。例えば、ゼネコン構造の中では、元請けの報酬以上の売り上げを上げることは不可能だ。こういう環境では、時間減らすしかないよね。ただ、10時間を8時間にすることは出来ても、10時間を1時間にすることは現実的に難しいと思う。

私は、いわゆるIT業界で働いているのだけれども、IT土方と揶揄されるくらいゼネコン。売上が人月という、言葉の通り頭数で表わされることもある。時間の短縮はつまりは、人を切ること以外の何物でもない。ってことは、労働成果が頭打ちでの生産性の向上というのは、人の減少でしかない。賃金労働者にとっては、自分で自分の首を絞め、それこそ生活基盤を危うくするだけだ。

先ほどの数式をいじる。

生産性×時間=労働成果
意味はまったくかわらない。より多くの労働者を養うには、生産性を保ちつつ、時間をかけることに他ならないのではないか。同じ人間がやる以上、生産性ってのはある程度のところで落ち着くのであるから。

だが、日本の環境が悪いと言っているわけではない。日本の産業の多くが製造業だからこうなるわけでしょう。金融業とかが大きなウェイトを占める国だったら、もっと生産性を追求して給与に反映される環境があると思うけどね。もっとも、リーマンショックのときに気付いたのだが、生産性の向上ってのは、レバレッジを利かせて実態からかけ離れた虚構のマネーをでかくするという意味だけのような気がする。何度も言うけれども、同じ人間がやる以上、生産性はあまり変わらないわけだから、そんなに労働成果だけが大きくなるわけがあるまい。それが、実際に大きくなったのだとしたら、お金の価値を薄めているだけ。